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   現在ネット上のファイル交換で人気のキーワードは「流出」「個人撮影」「素人」「無修正」。
 ヤラセに飽きたネット界の住人達がもっとも好むのが、これらのキーワードが含まれる画像で、日夜ネット上で交換し続け、まさにネズミ算式に広まっている。現在個人レベルでは把握しきれないほどの画像が出回っており、本物の個人撮影流出画像もあるが、なかにはただ単に出所が不明なだけのものもある。考えてみればネット界だけに限ったことでなく、ヤラセよりも「素人」が「個人撮影」された「無修正」のほうが興味をひくのは当然だと言えるが、これだけのブームが続いている明確な理由があるのだ。ある意味ネット上での流出と画像サイトの元祖でもあるのが今回ご紹介する「PGF」だ。

 PGFの歴史はパソコン通信時代の96年「フロンティア」から始まる。多少システムの変更はあったが、基本的には年会費を払うとVIPルームに入室できるようになり、さらに素人モデルを使った無修正のハメ撮り画像一人分40枚前後を1500円ほど支払えばが入手できた。当時パソコン専門誌に取り上げられたことでマニア間で評判になり、1997年にはパソコン通信から丁度普及し始めたインターネットへと舞台を移しさらに会員数を増やしていく。1998年末には会員数800名、売上は3,700万円を超えるほどだった。この頃にはトータルでモデルは198人、全168セットが存在していた。そして1999年1月26日に撮影者が逮捕、2月16日には先の撮影者を含む運営者3名が逮捕されてフロンティアは閉鎖され終焉を迎えるのだが、むしろ全てはここから始まることになる。罪状はもちろんでのわいせつ図画公然陳列なのであるが「モデルとなった女性のうち、46人が未成年であった」という報道記事がマニアを驚喜させたのだ。以来何とか全ての画像を集めてやろう!という者は後を絶たず、2000年一杯くらいはそのブームが続くことになり、それら全てを所持するものは「神」とさえ呼ばれた。

 さらに「コギャル村」「ピエロ」など画像HPが出現しては摘発を繰り返し、それらの画像もまた流出し交換されることになった。

 その後ブロードバンド環境の普及しファイル交換ソフトが出現する頃にはPGFはさほど貴重な画像ではなくなっていたが、「個人撮影」「素人」が「流出」するたびにネット界の住人達はこの「PGF」をいやでも思い出し、あのときの衝撃と喜びを味わうために交換を繰り返し続けている。
青木たかよ
西村かな
館山あやこ
星野あき
神崎じゅり
 
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